「銃弾ぜんぶを頭部に撃ち込んだ」金正日時代の公開処刑

来月10日の最高人民会議(国会に相当)代議員選挙を控え、北朝鮮では軍の各部隊に保衛司令部の検閲部隊が派遣され、選挙期間中の不法行為の取り締まりに乗り出していると、デイリーNKの内部情報筋が伝えてきた。

保衛司令部は、いわば軍内の秘密警察だ。一般社会の監視を担当する国家保衛省と並ぶ、泣く子も黙る存在である。かつて、保衛司令部はその残忍な公開処刑の手法により、国家保衛省にも増して国民から恐れられていた時代があった。

北朝鮮が未曽有の大飢饉「苦難の行軍」の最中にあった1990年代後半、同国内では粛清の嵐が吹き荒れていた。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)の解説記事によれば、金正日総書記はこの当時、激しい不安の中にあったという。1994年に父である金日成主席が死亡すると、時を同じくして大飢饉が発生。国民の反発が自分に向かい、体制が崩壊するのではないかと恐れたというのだ。

金正日氏はこれを抑えるため、まず金日成時代の幹部らを対象とした粛清を行う。「深化組事件」として知られたこの大粛清では、大勢の幹部たちが言われなき罪で拷問死させられた。

そして次に、軍の保衛司令部を各地の検閲に走らせて中級幹部らの汚職を暴き、群衆の前で公開銃殺にしたのだ。この時代、北朝鮮ではすべてに軍事が優先する「先軍政治」が行われており、保衛司令部はほかのどの司法機関より恐れられていたという。

RFAによれば、特に北部の両江道(リャンガンド)での粛清は凄惨を極めた。保衛司令部は道内だけで、少なくとも19人を公開銃殺にしており、非公開で処刑された人々も加えたら、いったいどれほどの犠牲者が出たかもわからないという。

北朝鮮の公開銃殺は、従来のやり方でも十分に残酷なのだが、保衛司令部のやり方は輪をかけてひどかった。普通は胴体を狙って9発の銃弾を撃ち込むのだが、保衛司令部はその全弾を頭部に浴びせたというのだ。

もっとも、残酷さの面では金正恩党委員長の方が上かもしれない。何しろ金正恩時代に入ってからは、人体を跡形もなく吹き飛ばす大口径の4連高射銃が用いられているからだ。

このようなやり方をするのは、国民に恐怖を植え付けるために他ならない。しかし実際のところ、1990年代の北朝鮮国民は飢餓を生き延びるので精いっぱいであり、体制に歯向かうどころではなかった。

そんなことにも気づかないほど、金正日氏は怯え切っていたということだろう。